理屈と実際

理屈よりは実際だ。理屈は誰でも知っている。行えぬだけだ。

利己なければ畏れ(おそれ)なし 畏れなければ自由自在だ

悶え

悶えるのは執着があるからだ。

いっさいは流動性

つぎにまた、何事でも一事に執着し固着してはいけない。

いっさいは流動性において活きているのであるから、

つぎつぎに目先をかえ、内容を変えてゆかねばならぬ。

やるせない心

言うにいわれぬ淋しい、

やるせない心をジッとつなぎとめる力は、

信仰よりほかにはない。

信仰・信愛・信任とは

自分より以上のものを慕い、

その命に服従するのは信仰である。

お互い同士がたがいに

信じあい愛しあうのは信愛である。

自分以下のものを信じて

大事にするのは信任である。

信仰ある人は必ず上からの恵み幸いを受け、

知らずしらず、よりよい道にみちびかれる。

信愛あれば必ず人から助けられ、

好意をよせられ、よりより地位へすすめられる。

信任すれば、かならず、

そのものより十分なる奉仕を受けられるはずである。

一歩も歩けないほどの荷物を

寸毫(すんごう)も過不足なく、蒔いただけは刈らさせられるのだ。

自分一人で背負い込んでは、

一歩もあるけないほどの荷物を負わされている人たちを、

そのまま棄てておいては、

いつまでたっても同じ場所で

悲鳴をあげていなければならぬ。

お情け深い神さまは、かかる人たちのために、

みずから、その人の伴(つ)れとなって、

その荷の一部を持っていってくださるのだ。

誠の心さえ通じたら、どんな罪人も許される、

というのは、ここのことなのである

精神的、物質的ドン底

とにかく、こういう世の中になってきた以上は、

一度は精神的、物質的ドン底の生活をくぐってこなければ、

一人前にはなれない。

生半可に悟ったふりのことを言っていても、はじまらない。

いかに天才であっても、

辛酸を経なければ子供である。

理屈ではない

嬉しいことも悲しいことも理屈ではない。

人間の理屈から人間を造り出したのではないから、

人間の理屈で人間を取り扱ってはならない。

人間的計算で前途を案じることはない。

人間もまたその時になれば

春になればいろいろな花が急に咲き出し、

蝶舞い鳥うたい、水のぬるみ風あたたかに、

見るもの聞くもの一切のどやかに、

はなやかになって来るように、

人間もまたその時になれば、

その時のことが自然にできだしてくるのである

心の持ち方に修養

怖いこわいと思い詰めたら、

玩具の蛇にでも気絶する人がある。

要するに、自分みずからの想念で強烈な悪電気を作って、

自分みずからを殺すことになるのである。

心の持ち方に修養をつまなければ、真の力はできない。

忘れる事と不満

人間というものは実に身勝手なもので、

病気のときは「病気くらい悪いものはない、

病気さえなおったら、どんな仕事でも不平をいわずに働こう。

達者になったら、これに超したことはない」

と決心していながら、いざ達者になると、

もう前のことはすっかり忘れてしまって、

何かにつけ不平不満ばかりいっているのである。

失望が大きい理由

たのむところが大きいから、

失望することも大きいのだ。

人を恨み、世を呪う、大半はこれだ。

逆境は誰の責任か?

逆境に 立つは己が浅見の 罪にこそあれ 運命にあらず

この瞬間に

今という この瞬間に善を言い

善を思いて善をおこなへ

神が感じられない理由

しかし、いかなるものによっても、

ちっとも神が感ぜられず、

光が見えぬというのは、

明らかにその人自身の我執(がしゅう)と

傲慢との罪である。

いや、実のところは、

世のたいていの人はまだまだ懸命に神を求め、

道を探すところまでいっていないのである。

彼らには、

神より金、人格より金額が貴いのである。

何を苦しんでいるのか

世界は無限にあるものを、

何を苦しんで人々は、

他愛もないことに執着し、

懊悩(おうのう)するのだろう!

悩みが大きい人

艱難(かんなん)の大なる後は

幸福の恵みの花の大なるが咲く

苦しむ人の実情

世の、苦しんでいると称する人々の実情を見るに、

その九分九厘までは、いずれも自分で自分をしばっているのである。

やっていることに無理があるのである。

迷うときは

どうしようかと案ずる時は とにかく 進め! 

やり損なったら・・・・と懸念するときは 

いっぺんやり損なってやろうと 大きく構えてやっていることだ 

それを回復するまでは大変だ 

しかし それも興味だ ありがたみだ 

ひと通り 沈香もたき 屁もひってみなければ 

真の世の中は分かるものではない

思うこと

思うことは生ずることである。

思うことを省みなければならない。

思うことがきたなければ、

生ずるものもまたきたない。

思うことが清ければ、

生ずるものもまたきよい。

源がすまなければ、末も澄むことができない

積極と消極

消極は地獄であり 

積極は極楽である 

失意と天国

罪の種は得意のときに蒔かれ、

天国へのハシゴは失意のときに造られる。

孤独

この世においても、

あの世においても、

孤独ほど刑罰はない。

手を引き合って

しかし、よく考えてみれば、

自分の兄弟を苦しめることは、

自分を苦しめることである。

人はどこまでも手を引き合ってゆくのでなくては、

自分ひとりが幸福になろうと

あせったところでだめである。

祈りと実行とは

人間は縦に祈ることによって、

より多くの神愛、神智、神力を受けることができ、

横に実行することにより、

はじめて神の容器としての自己を鍛錬し、

拡大していくことができるのである。

祈りと実行とは、霊と体との関係のようなものである

罪はつみである。心の中につみ重ねてある思いも罪であり、借金である。

あてにならないもの

人間の期待ほどあてにならないものはない。

しかもわれわれは、このあてにならない期待をあてにして、

知らず知らずの間にこれに執着しているから、

いったん、その期待が裏切られた場合には、

以前の執着に比例して狼狽と苦悩を受けることになるのである。

世の中は苦しい、淋しい、辛い。けど・・・。

『なるほど、考えてみればこの世は苦しい、淋しい、辛い。

しかしながら、ほんとうは、

苦しいのも淋しいのも辛いのも、みな自分であって、世の中ではない。』