悶えるのは執着があるからだ。
つぎにまた、何事でも一事に執着し固着してはいけない。
いっさいは流動性において活きているのであるから、
つぎつぎに目先をかえ、内容を変えてゆかねばならぬ。
自分がえらいと思うから腹が立つのだ。
修行してもしても、しきれない身なのだ。
いつも子供になって、ほがらかに、
“いろは”の”い”からやり直す雅量と覚悟が必要である
中心がかたむけば塔は倒れる。
利己観念の強い人ほど、
物ごとを正当に公平に価値づけることができない。
彼らはつねに自己というものを、
その中へ取り入れている。
世間のせまい者ほど自己を知らない。
たのむところが大きいから、
失望することも大きいのだ。
人を恨み、世を呪う、大半はこれだ。
地獄に落ちた祖霊(それい)などは、
子孫の善徳によって、たちまち中有界(ちゅうゆうかい)に昇り進んで天国に上ることを得るものである
物を人に与えることは、与えるだけは自分のものが減るのだが、
精神的のものをあたえる場合は、決してそうではない。
いくら人をほめても、気の毒だ、かわいそうだと思い、
かつ、慰安の言葉を与えたところで、
そのために、自分の持っている魂の量は決して減ずるものではない。
しかし、よく考えてみれば、
自分の兄弟を苦しめることは、
自分を苦しめることである。
人はどこまでも手を引き合ってゆくのでなくては、
自分ひとりが幸福になろうと
あせったところでだめである。
愚者を本気で相手にするのは愚者だ。
「自分はこう思う」ということはいってもいいが、
「自分のいっていることはまちがいない」というようなことをいってはならない。
世界は広く、自分は小さいのだから
おおそうだ、愛は無限だ。
他人(ひと)にやさしい言葉をあたえるために、
わたしの言葉は貧弱にはならない。
他人に好意を寄せるために、わたしの好意は減るものではない