言うにいわれぬ淋しい、
やるせない心をジッとつなぎとめる力は、
信仰よりほかにはない。
言うにいわれぬ淋しい、
やるせない心をジッとつなぎとめる力は、
信仰よりほかにはない。
寸毫(すんごう)も過不足なく、蒔いただけは刈らさせられるのだ。
自分一人で背負い込んでは、
一歩もあるけないほどの荷物を負わされている人たちを、
そのまま棄てておいては、
いつまでたっても同じ場所で
悲鳴をあげていなければならぬ。
お情け深い神さまは、かかる人たちのために、
みずから、その人の伴(つ)れとなって、
その荷の一部を持っていってくださるのだ。
誠の心さえ通じたら、どんな罪人も許される、
というのは、ここのことなのである
「なんとなしに、そういう気がする」
というのは、霊界が感応しているのであるから、
なるべくその気分にしたがって行動した方が、
かならず良い結果をもたらすものである。
このことは、日常の体験から、だれでもがうなずくことである。
ただ、次の、これだけのことが真に悟了(ごりょう)できたら
人間は卒業である。
われわれはいっさいを神にまかせ奉りて、
赤子のような心をもって送ること、
ただ、これだけである。
祭祀(さいし)を厚くされた人の霊(みたま)は
霊界現界の区別なく、その供物を歓喜して受けるものである。
現世に生まれていながら、なほかつ依然として
霊祭(みたままつり)を厳重に行うてもろうている現人は、
日々の生活上においても、大変な幸福を味わうことになるのである
地獄に落ちた祖霊(それい)などは、
子孫の善徳によって、たちまち中有界(ちゅうゆうかい)に昇り進んで天国に上ることを得るものである