尻をふいた手で箸を持つのは妙なようだが、
いたし方のないことである。
といって、善を言わずに醜ばかりを
さらけだすような者は愚の骨頂だ。
表裏あることはよく心得ていて、
しかも、なるべく善美をいうのがよい。
尻をふいた手で箸を持つのは妙なようだが、
いたし方のないことである。
といって、善を言わずに醜ばかりを
さらけだすような者は愚の骨頂だ。
表裏あることはよく心得ていて、
しかも、なるべく善美をいうのがよい。
自分より以上のものを慕い、
その命に服従するのは信仰である。
お互い同士がたがいに
信じあい愛しあうのは信愛である。
自分以下のものを信じて
大事にするのは信任である。
信仰ある人は必ず上からの恵み幸いを受け、
知らずしらず、よりよい道にみちびかれる。
信愛あれば必ず人から助けられ、
好意をよせられ、よりより地位へすすめられる。
信任すれば、かならず、
そのものより十分なる奉仕を受けられるはずである。
自分がえらいと思うから腹が立つのだ。
修行してもしても、しきれない身なのだ。
いつも子供になって、ほがらかに、
“いろは”の”い”からやり直す雅量と覚悟が必要である
物質の損得は一時的のことであるが、
霊魂の損得は永久である。
夫婦愛だけでなしに、というものは、
兄弟愛も主従の愛も、友達の愛も人類愛もおなじものであって、
自分がつくさなければ、
自分が世話をしなければ生じるものではない。
お互いが世話をし合うところに愛情は生じてくる。
それをよく知っていなければだめである。
真に棄て身になることができさえすれば、
世の中に恐いものは一つもない。
いくら得ても、ちっとも他人の妨げにならず、
しかも、自己はこれによって
ますます栄え輝いてゆくのは、
徳と知識と技術である。
手数がかかっただけ愛を生じる。
静かなるは据(す)わりがよいからである。
『人生はお互いに思い思われて、なつかしく、ありがたく感じ合うところに本当の幸福がある。』